2011年4月28日木曜日

被災地訪問の報告1

まず今回の震災により亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。



 東北地方太平洋沖地震の発生からほぼ1ヶ月となる2011年4月9日、10日の二日間、仙台市と石巻市を拠点に被災地域を訪れ、物資支援、視察、ボランティアをしてきました。
 メンバーは石塚、小泉、加瀬、堀田です。
 以下に記録としての報告を簡単にさせていただきます。

1. ダメハウスへの建築模型材料、道具の提供(4/9)

東北大学五十嵐研M2の加藤拓郎さんのツイッターによる呼びかけに応じて、被災地域の建築学生が通常の勉強を続けるための物資を出発前に収集(新品も購入)して届けさせて頂きました。
横浜国大建築学コースの学部、大学院両方からたくさんの材料が集まり無事に届けることができました。提供して頂いた皆さん本当にありがとうございます。



2.津波被害地域の視察(4/9)

ダメハウスへ物資を届けた後、太平洋沿岸部の幾つかの地域を車で回りました。
仙台市内→塩釜港→松島→若林区→名取市沿岸部→仙台空港周辺部→AEON名取店→ダメハウス(宿泊)というようなルートをとりました。
仙台中心部を出て少し車を走らせると信号の消えている交差点や津波による瓦礫等はみるみる増えて行き、沿岸部に着くとTVで見たそのままの壊滅的な風景をいたるところで見ることになりました。ただ潮風やヘドロまじりの独特の匂い、すれ違う人々の表情や街全体を包む雰囲気など、実際にその風景を体感することは予想以上にギャップがあり、皆大きなショックを受けました。

津波による被害の性質は地域のよって様々な特徴があり、全てが流され何もないところ、運ばれた瓦礫が積もっているところ、わずかな地形の違いでまばらに倒壊しているところなど、津波被害にも様々な状況が見てとれます。また壊滅地域のなかでぽつんと倒れず残った木造家屋もあれば、その近くにぐにゃぐにゃに曲がった鉄骨造もあるなど、被害状況を一概に説明することは難しく、津波被害がどれだけ人智を超えたものか思い知らされました。


また、その後行ったAEONは一部ですが営業を再開しており、ものすごい数の人が買い物に来ていました。それでも巨大な商品を管理する仕組みが功を奏し、商品は十分に揃っていてたくさんの人の生活を大きく助けているようでした。


3. 石巻ボランティア活動(4/10)
二日目は石巻市に移動し、主にボランティア活動をしてきました。
石巻高校の避難所で松村さんという、現地で個人的にボランティア仲介などの活動をしている方(http://blog.canpan.info/suport2007/)に出会うことができ、行政を介さず身軽に幾つかの住宅や店舗の片付けなどを手伝わせて頂きました。

中里町は自治会がしっかり機能し、ゴミや瓦礫を公園に集めるだとか、大きな電化製品はもうしばらく我慢して各家庭においておくといった独自にルールを決めているそうです。おかげで他のエリアのように道ばたに延々と瓦礫が積み上げられることはなく綺麗に片付いた街並が取り戻されつつありました。
外を出歩く人はとても多く、顔見知り同士での情報交換や助け合いが賑やかに行われていました。皆とても明るくこちらが逆に励まされてしまいました。

数件の店舗や住宅を簡単に手伝った後中華料理屋、石巻飯店へ。ここは津波で運ばれたヘドロが大量に残っており、それまでと桁違いの大変な作業でした。大量の水分を含んだヘドロは非常に重たく、匂いも強烈で、たった一軒を大人の男10人で取り組んでも気が遠くなるものでした。


4.石巻市内視察(4/10)
夕方頃にボランティアを終え、石巻高校で実施された間仕切りプロジェクト(http://majikiri.wordpress.com/を見た後、沿岸部の壊滅地域を見てから帰路に着きました。

武道館に設置された布の間仕切りは、生活スペースと、映画上映などのイベントスペースを仕切るものとして機能していました。


沿岸部は地震、津波、火事が重なり前日見た被災地ともまた違う被害状況が延々と続いていました。丁度日が沈む頃に見学を終え、仮眠をとりながら帰宅しました。




堀田浩平

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